- 2007/03/11(日) 00:45:28|
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大阪・豊中市で高1が首つり自殺、前日に同級生が制止。
残念だが学校が出来る事はしていると思う。同級生が止め、担任も声をかけている。校長云々はあっても、それでどれ程変わるかといえばほとんど変わらないだろう。親には連絡する必要はあったかもしれないけど。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070310-00000414-yom-soci
今回は成績が原因ではないかと推測されている。
死ぬ必要ないだろう。なぜって思う。
死んでまでやることって何?命を懸けるのと、死ぬことは違う。
どういう思いが巡った結果、自殺の結論が導かれるのかを聞いてみたい。
特別不自由も無い、生きられる体があるのに自ら死を選ぶ。
死という結論までいくというのは厳しい言い方かもしれないけど、悲劇のヒーローに憧れているような気がする。
昨日の映画(ディープインパクト)でもう生きられないと悟って愛する人と…なんてシーンがあったが、そんなのちっとも美しくない。何が何でも生きようと逃げるシーンの方がよっぽど私は美しいと思う。死を美化するなよ。
全ての人はいずれ死ぬ。そんなに死にたい人は時が来るのを待てばいい。生きてりゃその内来るから。
【追記】
たくさんコメントを残していただいてありがとうございます。
私なりの意見をもう少し。
多少きつく書いたので、「あなたにはわからない」って言われるだろうと思っていたが、思っていたより同意意見が多くて驚いた。
ちなみに私には気持ちは絶対にわからない。分かるはずもない。
私は野球をやっていた。試合でミスをする。するとチームメイトから「まぁ明日頑張れよ」と声をかけられる。口では「あぁ、そうする」なんて言っても、心では「この気持ち分かるのか?」って思っていた。逆の立場になることも当然ある。この事を分かっててもやっぱり同じような声をかける。
自殺する人の考えてるレベルはもちろんこんなもんじゃないだろう。それでも私は相談を受けたら「なんだよ、生きろよ」という。「お前に分かるのか?俺の気持ちが。」と思われるだろう。でも「死にたい」と相談を受けたら私は「生きろよ」という内容の事しか言えない。なぜなら、「心から分かるよ」と言って、「わかるんだろ?じゃあ一緒に死んでくれ」と言われたらどうする?
中途半端な共感はしたくない。
本当に死にたい人が2人で話せば本気で共感できる部分はたくさんあるだろう。ただその2人は高い確率で死を選ぶはずだ。選択肢がそれしかないのだから。ただ、片方が止めたら救われる可能性は高まると思う。だから厳しい言い方をしても止めた方がいいと思っている。たとえ相手に理解されなくても。
自殺した人が身近にいる私にとってこの考えは建前的でとても無神経なものに見えました。
あなたには自殺する人の気持ちが絶対に理解できないし、別にしなくでもいいのだけど
否定しないで理解しようとする心をもってみたらどうですか?
- 2007/03/11(日) 02:32:58 |
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- #-
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ディープインパクトの例え話は同感。
車が渋滞しているからって、人類を滅亡させるような巨大隕石が地球に落下するのを静止して凝視している人間はおかしい。そんなことしてないで、足で走って山頂まで逃げろよって思う。
もしかしたら、日と米の宗教感というか人生観の差異が如実に現れている作品かも。
もうちょっと深く考えると、DNAを残すことが生物の根本的な目的ではないか?と問いかける為に、あえて強弱をつけた作品かも。子孫を残した人が自分の死に関して余裕をかましている描写が多かった気もする。
私は30年ちょっと生きて子供も授かった。学生時代の出来事で自殺する必要はない、とは今思う。当事者にとっては我慢できない問題なのだろうけど、数十年後にはどうでもよくなるんだよ。
せめて子孫を残してから死になさい。というか子孫を残したら死を考えなさい(極論)。もしくは子孫を残して、子孫が成人したら死を考えなさい(未経験)。
- 2007/03/11(日) 02:42:43 |
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- ゆうじ #-
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怒られるかもしれないけど、名無しさん、自殺する人間が正しくて、残された人間が間違ってるのか?
世間的にはそういう風潮。
確かにいじめ自殺は加害者が悪い。誰がなんと言おうと。
ただ「自殺」という部分だけ考えてみると、誰かを助けるためではなく、現実から逃げるために(自分のために)自殺を選ぶというのは、正しいやり方じゃない。
仏教でもそうでしょう?
命を殺しちゃいけない。自殺は、「自分を殺す」こと。
- 2007/03/11(日) 03:03:22 |
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- 長生きはしたくないが #qaK9TfKk
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結局、自殺は駄目とか死ぬ必要がないとか思うひとは
「生きていける」人なんだよな。
そういう人はどこかで自殺をする人、考えてる人を下に見て
優位に立って悦に入ってる部分があると思うし、そう感じる時がある。
かく言う自分もそうだった、友達が自殺するまでは。
どうしようも無くなる時って誰にだってあると思う
八方塞がりで選択肢も見つからなくて誰も助けてくれない
自殺を決して推奨も賛美も肯定もしやしないけど
生きていける人間が生きていけなかった人間の最後の選択を
とやくかく言う資格も権利も無い。
- 2007/03/11(日) 03:46:14 |
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- 式 #-
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↑でもそれで担任が責められてるんだよ?そこはどうなの?
いじめは加害者が絶対的に悪いし、自殺したいと思うほど辛かったんだなってかわいそう(表現が悪いかもしれないけど)に思う。
やっぱり両親は子どもに生きてて欲しいかったから、どかで食い止められなかったかって悔やむよね。
担任も友達も悔やんでるだろうし・・・そうやって大事な人たちを苦しめることになるって部分もある。
だから「自殺」は肯定的にみてもらえないんじゃない?
- 2007/03/11(日) 04:20:36 |
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- K #-
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親は親で自分たち以外(担任とか組織だけど学校など)にだけ責任があるなんて考えていたら大違いだと思うけど。
- 2007/03/11(日) 05:16:43 |
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- はてな #-
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重松清さんの{卒業」を読んでみては?
- 2007/03/11(日) 05:32:16 |
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- たか #-
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まず人は、誰とでも苦労や苦しみを分かり合えるということは無いでしょう。
たとえ親でも友達でもわからない人にはわからないしそれをおかしいと言うつもりは無い。他人のケースを理解するには同じ経験かまたはそれに類似した経験かをしたことが無ければわからない。他人と全く同じ経験などほとんど出来ない上に、人一人が経験できることは経験できないことに比べ遥かに少ない、むしろ世界のほとんどの事を経験できないと思ったほうがいい。それでいて人と理解しあったり価値観を共有しあったりするためには想像力と感性が必要です。
「子供のうちはよく遊びなさい」とかはそういった想像力や感性を身につける第一歩でしょう。大人になって人をナイフで刺して殺し「刺した事無かったからこうなるなんて分からなかった」では済まないですから。しかし今、想像力や感性が著しく欠けた人が急増しています。想像力や感性が欠けた人は特にそうですが、いくら想像力と感性があっても
他人を分かってあげようとした時に、その人には理解できないというケースは間違いなくあります。そのとき自分の「分かってあげたい」という欲求を満たすために容易に「大丈夫だよ」とか「分かる分かる」とか言って逆に相手を追い込んでしまう事が多々あります。
恐らくは自殺に追い込まれる人は'大丈夫じゃない'ということを相手に知って欲しいのでは無いでしょうか。そこで「大丈夫だよ」と言えば話はおわりです。
最近では大学に出入りしており10代の'友達ごっこ'の友人関係の多さには驚きです。友達のフリ、仲良しのフリ・・・本音は一人が怖いだけ。友達なのに相手を叱れないばかりか何もかも相手に合わせてご機嫌を窺い合ってる。昔の'殴りあう男の友情(経験無)'なんてまずあり得ない。友達関係も親子関係も普段はフリでも支障ないですがいざと言うときどうでしょう・・・。
どうもメディアは教師が叩かれるのを望んでるようにも見えますが今回のケースでは誰も悪くないでしょう、それぞれが自分以外の誰かを責めるのは大きな間違いです。
ただ彼は、どういった人間関係の中にいたのか気になる所です。
- 2007/03/11(日) 06:12:12 |
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- いんてる #-
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この男子高校生の自殺とはまた違うんですが、自分が死ぬことによって誰かが救われるということもあると思います。
気持ち的にどうあれ、自分が生きていることで誰かを苦しめているとしたらどうでしょうか。事実として自分の大切な人の人生が自分が生まれてしまったことで滅茶苦茶になっていたらどうでしょうか。その人が自分を愛してくれていても、辛いです。
どうにもならないことってあると思います。それで自殺を選ぶのも仕方ないのかもしれません。生きていて欲しいって願うのはエゴで、でも死にたいと思うのもエゴで。
私は自分が生きていることで事実家族に迷惑がかかっているから死にたいと何度も思っています。でも、やっぱり世界には良い人もいて、良いことが起きることもあって、だから思いとどまっています。
けれどやっぱり死ぬこと全てが悪いことだとは思えません。確かに遺された側は辛いと思います。けれど、死んでしまった人の悩みとか考えとか全てを否定したら駄目だと思います。また、たとえ死のうと思ったとしても、自分の大切なものや人、自分の気持ち、大切な人の気持ちをちゃんと考えて、そこから先は自分の考えだと思います。一時の激情に任せて死ぬのはとても哀しいことです。けれど誰かを思っての死は、そんなに悪いことじゃないと思います。・・・・・・死を美化してるわけじゃないんですが、私はそう思います。
- 2007/03/11(日) 11:17:23 |
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- orange #-
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死ぬ気があれば何でも出来るという文句には追加が必要だ。
死ぬ気があれば環境変えられて、落ち着いたらその次に何でも出来る。
死にたいという気持ちは環境要因が一番影響する(経験済)。死にたいと思ったら環境を変えること。学生でいじめられている人は、自宅学習(これは社会的には落ちたように近所からも見られるが、本質的には落ちていない。学生は家にこもっててよい。親も本質を見極めろ。)していればよい。
その後大学に入ったり、就職したりすれば、あの時の苦しみはなんだったんだろうと思えてくるよ。
親は環境を変えてやれ!!!!!!
義務教育は信用ならない。阿部首相は大改善を。
義務教育は小学校まででいいんじゃねえか?
人をいじめるようなレベルの低い奴が義務だからって高等教育受けなくて
いいよ。そのおかげで心優しい人間がとばっちりを受けて自殺するのは許せない。心優しい人間が社会的、集団生活には大切。今の日本に一番必要。
結果的に収入の勝ち組、負け組みが出来るのは仕方ない。結果的にだよ?
レベル低い親を持つ奴は高校、中学に来るなよまったく。そういう奴って中学位から勉強なんてしたくないだろ実際。
一歳児の子供の親として非常に不安だわ。
- 2007/03/12(月) 02:09:30 |
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- ゆうじ #-
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先ほど、映画『ディープインパクト』をテレビでやっていました。映画館で観て、DVDも持っている筈なのに・・・また見ちゃいました(笑)。この『ディープインパクト』と『アルマゲドン』は何回観てもいろんな場面で泣けてしまいます。地球最後の日、生死を分ける時に....
- 2007/03/11(日) 01:26:08 |
- 賃貸営業よもやまばなし
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